Photo: uuu

 
 
 
2017.4.29-30
contact Gonzo × 空間現代
 
 

 外に入ると壁があった。演奏スペースと客席はベニヤで隔てられ、「あちら」の様子を伺い知ることはできない。
これが2デイズ1日目の成果なのだろうか。ともあれそこには壁があった。壁中央上方に取り付けられたモニターは今のところオフ。壁の前に立ったNAZEがイラストを描きはじめる。
適当に書きなぐったような線から人の形が浮かび上がる頃、点灯したモニターは「あちら」を映し出している。持ち場につく空間現代の3人に囲まれるようにして待機するゴンゾ。そして響く音。ベニヤの壁は音を隔てない。演奏する様子を捉えた映像はPVのようにどこか遠いが、轟音はすぐそこで鳴る。そこはもはや「あちら」ではない。やがて重なるノイズ。ベニヤから電ノコの刃が突き出し、肉体が現れる。あるいは悪魔の召喚か。空間現代は音を鳴らし、ゴンゾは壁を打ち壊し、NAZE はイラストを描き続ける。そしてゴンゾは狭い隙間をくぐり抜けこちら側へ。壁の左右は解体し尽くされ、唯一残った中央部もど真ん中に穴が空く。

ようやく開陳された空間現代の姿をしかし観客がゆっくりと拝む余裕はない。ゴンゾの殴り合いがはじまっている。無論、徹底的にプロフェッショナルなゴンゾが攻めるのは危険ギリギリのラインでつまり観客は安全なはずなのだが、いつも以上に狭く密集した空間で予測不可能な動きを見せる肉体から目を逸らすことは許されない。ゴンゾには珍しく観客への接触がしばしば起こる事態に配慮された安全が実のところ全くもって保証されたものではないという予感をかすかに覚えながら、煽るような空間現代の音も相まってボルテージは否応なく上がっていく。

ピッチングマシーンが投入され密集地帯にテニスボールが跳弾するに至って客席はすでに戦場なのだがそんなことには構わず観客は嬉々としてタマ拾い。銃弾補充で共犯だ。タマは律儀に壁の穴を通ってこちら側へと送り込まれる。戦いはPA卓にも飛び火して安全地帯は外にはない。観客に紛れてその身を隠そうとするゴンゾの姿はおかしいが観客だって同じだろう。
そしてゴンゾはこれまた律儀に一人一人穴を通って「あちら」へと帰っていく。「あちら」? もはや残骸でしかない壁は何も隔てられていない。「空間現代でした」と終演の合図。外を出る。

蛇足ながら付け加えるならば私が見なかった2デイズ1日目のパフォーマンスで空間現代の演奏を尻目に壁を建設したゴンゾは2日目と同じく客席での殴り合い取っ組み合いを終えると「こちら」へと去っていった。ならば2日目のラストは現状復帰ではない。クラインの壷が口を開くか。あるいはそもそもそこに大した差はないかだ。

 

山崎健太

演劇研究・批評。演劇批評誌『紙背』編集長。「CoRich舞台芸術まつり!2017春」審査員。
SFマガジンで『現代日本演劇のSF的諸相』連載。早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース博士後期課程在籍。