Heejin Jang
毛利桂 + 大野雅彦
石 and 段ボール
Heejin Jang
韓国・ソウルを拠点に活動しているアーティスト。
ライブ・パフォーマンスでは、即興によるコンピュータ音楽のセットを行っている。
日常のなかのささやかな出来事や、取るに足らないような音からインスピレーションを受けて、それらを組み合わせ、再構成しながら、ときには瞑想的な静かな空間を、ときにはデジタルがもたらすパニックのような緊張感を、音を通して立ち上げている。
これまでに、The Lab、Yerba Buena Center for the Arts、mumok(ウィーン近代美術館)、Harvestworks、Rhizome DC、High Zero Experimental Music Festival、Center for New Music、DubLabなど、国内外のさまざまな会場でライブや展示を行ってきた。
その音楽は、The Quietus、NPR、The Wireなどのメディアでも紹介されている。
https://heejinjang.bandcamp.com/
https://heejinjang.com/
毛利桂 + 大野雅彦
毛利桂と大野雅彦による不定形の共同プロジェクト。 独自のスタイルで実験音楽・ノイズの現場に関わり続けてきた両者は、近年、即興演奏や展示空間を通して断続的に共演を重ねている。
毛利は京都を拠点に、ターンテーブルを媒介とする演奏や作品を展開。Technics SL-1200を用いたユニットでの活動を経て、ポータブルプレーヤーや光・ノイズとの連動を取り入れ、楽器としてのターンテーブルの可能性を探究している。映像やインスタレーションを含む、音と物質、空間との関係に焦点を当てた表現を行っている。
大野は80年代からライブ活動を続けており、自ら改造を重ねた異形のギターを用いて、solmaniaとして菅原克己とのユニットやソロで轟音即興演奏を展開してきた。ライブハウスやギャラリーでのパフォーマンスに加え、グラフィックデザイナーとしても長年活動し、アルケミーレコードをはじめ多数のアーティストやレーベルのヴィジュアル制作を手がけている。
発生する音、素材の存在感、即興の論理、空間における振る舞い── 両者は異なる手法を取りながら、物質と音響の境界に揺らぎをもたらす実演を行っている。
https://katsura-mouri.webnode.jp/
https://x.com/solmania_ohno
石 and 段ボール
名もなき二人の影が、風のない夜にあらわれる。
ひとりは石を抱き、ひとりは段ボールを背負う。
彼らの名は失われ、国も声も持たない。ただそこに、石と段ボールがある。
それらは鳴らされない。叩かれも、擦られもしない。
石は沈黙を知っている。段ボールは空虚のかたちをしている。
彼らは言う、「われらは音楽を演ずるにあらず。石が、段ボールが、霊そのものを帯びている」と。
聖性は神のものでなく、物のうちに伏している。
そこへと向かう道を、人は狂気と呼ぶ。
だが彼らは迷ってなどいない。
ただ、世界がまだ気づかぬ規律に従って、
石の重さと、段ボールの湿り気を、
音楽よりも深く、持ち歩いているのだ。
聴こえよ、沈黙のなかの、石の祈りを。
見よ、崩れゆく箱の、最後のかたちを。
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《礫の夜:いまだ名を持たぬ記録》
──ある場所の、誰も語らぬ三つの気配について
あの夜のことは、誰もきちんと覚えてはいない。
火は焚かれなかったが、風にぬくもりがあったという。
名は呼ばれず、声もなかったが、
それでも三つの気配が、そこに“あった”とされている。
最初のものは、持ち運ばれる重さだった。
それは置かれるたびに地面をわずかに沈ませ、
沈黙のなかで、地の奥へ何かを伝えていたという。
それが音だったかどうか、今となっては誰にもわからない。
けれど、翌朝、その場所の土はすこしだけ柔らかくなっていた。
次のものは、湿ったかたちを持ち歩いていた。
それは壊れかけの殻であり、包まれた空洞であり、
空気のあいだに沈黙を挟みこんで、
ただそこに“ある”ということの強度を保っていた。
それを見た者のひとりは、しばらく言葉を使わなくなった。
三つめの気配は、光と静けさを交互に震わせていた。
それは回るものでも、鳴るものでもなかった。
けれど、誰かが目を閉じたとき、
そのまぶたの裏に、遠くで揺れていた線の残像が残った。
しばらくしてから、それが“かつてあった何か”だと気づいた者もいた。
それがすべてかと問う者もいるが、
その夜の中心には、**“まだ言葉にされていないこと”**が残っていた。
今でもときおり、
冷えた石の表面に、湿った紙がぴたりと貼りついているのを見ることがある。
それはどこから来たのでもなく、
ただ、“残っていた”もののように思える。
そしてそのときだけ、
遠くの空が、音もなくうすく明るむのだという。
何が起こったかは、もう誰も言えない。
けれど、いまもなお、
風の底には、その夜の重さが沈んでいるという。